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はじめに

武蔵野台地が途切れるあたりに、大井町は存在します。その東側はかつての海が広がっており、人々は交通にあたっては高台と低地を結ぶ「坂」を往来していました。
名前がつけられた坂もあり、無名の坂もあり、いずれにせよ「坂」は現在と過去をつなぐメッセージのような気がします。そこでしばらく「坂」にまつわる物語を紡いでみたいと思います。

ヘルマン坂

由来

<立会川の月見橋近くに位置し、東大井の閑静な住宅街を南北に走っている見晴らし通りにある坂です。
 戦前、ドイツ人のヘルマン・スプリット・ゲルベルト氏が、この坂の途中(東大井六丁目側)に居住していたことから、いつの間にかこう呼ばれるようになりました。>と、品川区のHPに記載してあります。

なぜドイツの人が居住してたのか?

大森駅北口を出て北上すると、池上通りとT字に交接する比較的大きな通りがあり、そこは「ジャーマン通り」と名付けられています。それは何故かというと「東京ドイツ学園」というドイツ人学校が1923年〜1991年まで通りの先に所在していたからなのです。
現在は東京横浜ドイツ学園となり、横浜の都筑区に移転しています。ちなみに都筑区でのドイツ人の居住数は非常に多いそうですので、当時の大森にも多くのドイツの人々が住んでいたのだと思われます。ヘルマン・スプリット・ゲルベルト氏もその1人であったのでしょう。
東京ドイツ学園の歴史はこちらに詳細に記載されています。ナチス政権下で学園が運営されていた時代では、ハーケンクロイツの旗が大森にも翻っていた期間があったようです。

ヘルマン坂の現在

坂を登っていくと右手が崖になっていて「見晴らし通り」と名付けられているように大変に気持ちの良い場所であったろうと思います。パノラマにしましたのでご覧ください。