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大井町に長年居住してきた筆者が、初めて大井5丁目周辺に住み始めた時に知ったことが、かつて伊藤博文が居住していたことでした。その名残は、伊藤中学校や伊藤小学校といったように学校に名前がついていることだったり、もちろん、彼のお墓が西大井にあることで確認できます。

そして伊藤博文といえば、「幕末期長州の志士=テロリストから初代内閣総理大臣になって、最後はハルビンで暗殺され千円札になった人」としか当時の私は認識していなかったのですが、改めて歴史を学んでみると、穏健的開明派ともいうべき偉人であったのだと強く思うようになりました。そして色々調べていくと伊藤博文は大井町を私生活の拠点としていたことがわかってきました。その中でも最大の拠点が現在の大井3丁目18番周辺にあった「恩賜館」でした。現在は大きなマンションとなっています。

しかしながら、他の元勲達は皆東京の良き場所を私邸にしたのに、何故伊藤博文は大井町を選択したのでしょうか?彼の先生であった吉田松陰曰く「才劣り、学幼し。しかし、性質は素直で華美になびかず、僕すこぶる之を愛す」とあるように、原理原則を貫いているシンプルなものが好きな感性だったように思います。

当時の大井3丁目付近の池上通りは、品川の海を見渡す高台にあって鬱蒼とした森が生茂る場所。そして耳をすませば、現在の大井町駅周辺に広がる出来立て工場の稼働音が、新生日本の鼓動のように聞こえていたのかもしれません。あ、もちろん若かりし頃の歴戦の地、品川遊郭も望遠鏡で眺めることもできたでしょう。

その彼の感性を、1898年に横浜八景島に作った金沢別邸に伺う事ができます。写真をクリックしてみてください。一定の様式美を感じることができると思います。

その10年後に大井町に恩賜館を作ったのですが、彼の場所の感性が大井町という場所を選択したのかもしれませんね。

ところで大井町を形作ったレンガの歴史のルーツ特定苦戦しています。情報ください。。