大井町の歴史

大井町の歴史-13「労働者の街としてのあゆみ」

大井町は明治時代初期から製造業の工場が立ち並ぶ「労働者の街」として歩みを始め、工場の街として発展をはじめました。しかも食料品や玩具や印刷などの軽工業ではなく毛織工場、電気工場、鉄道局の工場、鉛筆工場、カメラ工場など重工業中心の展開です。
当時の日本に社会の基礎生産基盤が無かったが全く大きな原因であったと思われますが、港の近い大井町というのも地理的要因として大きかったのだと思われます。

<最初にやってきたのは毛織物工場だった>
1880(M13)年に創業された日本初の民間毛糸紡績工場の後藤毛織製造所が、最初に1892(M25)年に大井町に工場を建設しました。場所はJR大井町駅東側の東側でした。まだ大井町駅が1914(T3)年に開業する前の事です。
この工場は、1903(M3)年に「三井財閥」の買収などを経て、1909(M42)年から「東京製絨 品川工場」となったのち、1912(T1)年に売却、「日本毛織 東京工場」となりました。下記写真2点は1912年頃の工場の場所を現在地図と重ね合わせたものを比較しています。

現在のイトーヨーカドーの南側まで工場が占めていました。最盛期には約2,000人の女工さんがお勤めになっていたという事でさぞかし賑やかであったと思います。


後藤毛織の創業者は、再び大井町駅西側に「島田毛織製造所」(のち「後藤毛織」)を改めて開業。その後「鈴木商店」の経営となり「東洋毛織」へ改称しました。
その後1917(T6)年、「東洋毛織」は前述の「東京製絨」などと合併し「東京毛織」が誕生しました。

さらに「東京毛織」は1927(S2)年、合併により「合同毛織」となり「鐘淵紡績」(のちの「鐘紡」「カネボウ」)の経営になりました。そしてそのカネボウも粉飾会計により現在は消滅しています。

大井町は近代日本の栄枯盛衰の舞台でもあったのです。