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大井町が大化の改新(約1500年前!)に遡れることがわかりました。それは「倭国・大王(おおきみ)」が「日本・天皇」へ呼称が変わったり、海外派兵の「白村江の戦い」や内乱「壬申の乱」など、現在日本を形作る来事がおこった激動の時代でした。また当時の支配地域も現在とは違って福島の南まで。道は社会インフラです。その時代の思惑が反映されてます。なのでもう少しその時代の前後を推し量る必要があります。

調べ始めるとこの10年で色々なことがブラッシュアップされていることがわかってきました。なのでまたも遠回りしますが、ご容赦。

核ゲノム解析技術の発達によりここ10年色々前提が変わってきている。

なんで核ゲノムなんだよ?ということなのですが、いわゆる「日本人」の前提が、核ゲノム解析技術の進展によりガラリと変わってしまって、一次資料の少ない過去を捉えるときに重要な補助線となるからです。少し  mおさらいすると人体を構成する細胞の中には核とミトコンドリア(かつては他の生物)があって(他は省く)、核とミトコンドリアをさらに細かくみていくと紐状の物質が折り畳まれて収納してあります。それがDNAと言われていまして核DNAは32億個の塩基数、ミトコンドリアは16500程度の塩基数なので情報量が圧倒的に核DNA方が多い。また核DNAは父親からしか受け継がれないY遺伝子をたどれます。一方のミトコンドリアDNAは母系しかたどれません。これは精子が卵細胞に入り込んで受精が終わった後に、精子内の父親ミトコンドリアDNAが卵細胞システムによって何故か破壊されてしまうからです。

その核DNAの解析技術と考古学技術が一気にこの10年に進み、縄文人(三貫地縄文人)の核ゲノムD NA配列が決定され我々日本人にとっても大きな発見があったのです。

古日本人は思ったよりも古い人種だった。

核ゲノムの多様性を分布すると、任意の時期の人口が推しはかることができるようになり、約2030年前にアフリカで新人類が出現し、東アフリカの集団の中から出アフリカ(68万年前)を果たしたのは間違いはないようです。それからしばらく中近東地域に留まっていたようです。上記の核ゲノム解析によりアフリカ人以外の現代人の中に1~3%程度のネアンデルタール人ゲノムが伝わっているという推定から、その間にネアンデルタール人と混血した可能性(!)があります。これもこれで凄いです。

やがて旧石器時代4万年前から人類がユーラシア各地から日本列島の各地にやってきました。当時は12000年前までは氷河時。日本海は内海で北海道や九州は大陸と繋がっていたので日本に入るのはそれほど難しくなかったのです。

当時日本にきた主要な渡来人のDNAは私たちにも約12%-20%程度引き継がれていて、その系統は現在の東アジアや東ユーラシアに住む人々とは大きく違っています。その系統は核ゲノム解析の分類によると、チベットやインド洋のアマンダン諸島の人々の中から見出されています。その起源は未だ不明ですが、遠く離れたところとつながっているところから人類の出アフリカ(複数回の説もあるが68万年前)後の早い時期に枝分かれしたと予想されています。

つまり、出アフリカ→中東でネアンデルタールと混血→西へ行った集団(西ユーラシア人・古シベリア人)と東に行った集団に分岐→東を目指す集団は東北ユーラシアを目指す集団(古シベリア人)と東南アジアを目指す集団に分岐→東南アジアを目指す集団からオセアニアを目指す集団と更に東を目指す集団とに分岐→更に東を目指す集団から日本を目指す集団が古日本人になり、東アジア人とアメリカンネイティブとなったのです。東アジア人から古日本人が生まれたのではなく、その前から分岐した集団が私たちのご先祖であったことがわかってきました。

その後、青森県の大平山元遺跡で発見された世界最古級の土器が16500年前程度出現とされ、縄文時代が始まったとされています。約4000年前に弥生時代が始まるまで約1万年、旧石器時代を含めて約3万年=30世紀の間、私たちのご先祖は日本列島で生活していたのです。その時に醸成された共通意識が現在の我々にもなんらかの形で受け継がれていると思います。

次回はその古日本人の分布が縄文時代から弥生・古墳・飛鳥時代に向かってどのように変化して行ったのかをお話しします。